鬱は金で治療できる?本当に必要な人への社会保障制度を
2025.07.02
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誰かのせいで生活が苦しいわけではない
どんな理不尽があっても、金がないのは最終的に自分の責任。その上であえて言うと、
現代的な鬱は将来への不安、つまり金があれば多くの場合は完治すると思う。そして、そうじゃない人が本当に病としての鬱だろう。
移民を受け入れようが入れまいが、消費税が上がろうが下がろうが、金がないのは変わらない。
あろうことか金がない人が金持ちを優遇している政党を支持していたりする。
己を削ってでも誰かを助けるという美学とは真逆も真逆。それが必ず良いとは全く思わないが、
自分さけ良ければ他者がどうなろうがよい、とも思わない。
自分のことは自分で考えなきゃいけないし家族のこともそうでしょう。自分にとって大切な人を守るのは自分にしかできない。
どの選択肢を選んでも、選んだのはあなた自身で理屈はわかっているはず。ただそれを感情的に納得できないだけかもしれない。
自分に期待して知識と知恵を
じゃあどうすりゃいいんだ、と思う。答えは古の時代から同じ。自分で考えて答えを出すしかないのだ。
他者の言動はきっかけに過ぎない。一人ひとりが理論武装することは、権力者は嫌がる。
一方で、情弱に発信力を持つ危険性がある。情弱が理論武装するとオナニー型情弱に進化し、デマと偏向動画で伝番していく。
例えば、貧困活動家と称する人がハードカバーの2000円近くする本を出す。その2000円が苦しい人を助けたいのだろうか?
知らない人に知ってもらい、行動してもらいたいのか。ただ本を売って利益がほしいのか。利益は活動のためにどうしても必要だから仕方なくそうしているのか。
これに答えはあるだろうが、その人の言動から判断するしかなく、判断はあなた自身がするのがいいんだけど、材料を見極めるための目を養う必要がある。
金がなくても考えることはできる。必要な情報はほとんど得られる時代になった。
権力や金持ちを嫌うのに政治参加しない矛盾と社会構造
金がない者もいれば金持ちもいる。どちらも社会にとって必要な存在であることは間違いない。
情弱が消えれば、おのずと金持ちも消える。だからこそ、生かさず殺さずを維持しようとしている。
生殺与奪の権利など誰にもない。
生活が辛い、生きづらいさを感じる人がいるなら、その人たちを助ける方向に政治は向かうべきだと考えているんだけど、実際はそうじゃない。
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